松ヶ崎城見学会

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会

 手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会では、松ヶ崎城跡の見学会を秋のイベントとして行いました。その内容を報告します。

<松ヶ崎城の概念図>

石田守一氏の「松ヶ崎城跡概念図」(『千葉県所在中近世城跡詳細分布調査報告書T』千葉県教育委員会)をもとに、現地の状況を見て作成

   

【松ヶ崎城のプロフィールと構造】

  松ヶ崎城は、大堀川と地金堀に挟まれた、標高約20mの舌状台地の先端に築かれた城で、年代は15世紀末から16世紀前期にかけての城と推定されています。
  当時は手賀沼が台地下まで迫り、城址近くに船着場があったという伝承があります。また、中世には松ヶ崎城のふもとを通り、流山(松戸)まで繋がる道があり、水陸交通の要衝でした。

  北・東・南の3方が崖で、西側だけ台地続きです。最も防備を固めなくてはならないのは西側で、松ヶ崎城もそのように造られています。
  西側・北側には堀を備え、西側の堀からは柵の跡が発掘時に見つかっています。また城の出入口である西側の虎口(こぐち)は両側の土塁が食い違い状になっていて、敵の侵入を防御する仕組みになっています。
  西側、北側には堀に沿って高い土塁が、南側には崖を補強する土塁が築かれました。西側虎口近くからは15世紀末から16世紀初めの常滑陶器が見つかっています。

  城の中心部分は、「1辺約50メートルの方形の本曲輪」と「南側のがけに沿った曲輪」。現在は2つに分かれていますが、当時は1つだった可能性もあります。
  平成14・15年度の発掘確認調査でこれらの曲輪内の広い範囲が調べられましたが、建物跡はみつからず、城主がここに館を建てて住んでいた可能性は小さくなりました。

【今回の見学会】

日時

 2006年10月8日(日) 10時〜12時(その後、お茶を飲みながらの懇親会がありました)

案内役

 鈴木英夫先生(当会顧問)

見学ルート(下線を引いた部分をクリックすると該当の写真を表示します)

  城址北側腰曲輪(集合場所)平安時代の住居跡南東側物見台(古墳)周辺西側虎口北側堀、土塁東側門跡(虎口)本曲輪内不動尊跡(南側腰曲輪)湧水⇒城址北側腰曲輪(懇親会、解散)

懇親会後:竹、雑木の始末

 通路をふさいで通行の邪魔になっていた、竹や雑木の類を集め、細かく切って始末しました。

台地をのぼる

さあ、出発
(北側腰曲輪付近からほぼ垂直に台地上へ)

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