2011/9/25特別講演会

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会




テーマ:「手賀沼流域の歴史と生活を語る」


講師:相原正義氏 (中央学院大学講師、元北海道教育大学教授)
講演会の参加者
日時:2011年9月25日(日)13時半〜16時

場所:柏市勤労会館 2F 会議室・研修室 

会費:300円(資料代) 



講師は長年柏日体高校などで教鞭をとられ、北海道教育大学教授となり、退官後も松戸の聖徳大学講師などを経て、中央学院大学アクティブセンター講師。 柏市や周辺の東葛地方の歴史、地理について詳しく、「柏−その歴史・地理」などの著書があります。
今回、手賀沼流域地域について、沼の成り立ちから古代、中世、近世、近代と連綿と続く歴史と人々の生活について、語っていただきました。

主催:手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会

HP: http://www.matsugasakijo.net/

後援:柏市・柏市教育委員会
 
講演会レジュメより


 1 改めて「手賀沼」とは
・手賀沼はどのようにしてできたか
・手賀沼の地名―手下海(吉田東伍)
・流域面積と人口―降水が沼に流れ込む広さ、約1万4435ha、1平方キロ当たりの人口密度、日本の平均人口密度の約9.7倍
・沼の面積―寛文年間の海野屋作兵衛ら干拓以前=3200ha
戦後の干拓(1946〜68)終了=650ha

2 縄文
●貝塚から推定した5000年前の海岸線・縄文早期末〜前期中葉の海岸線
・縄文海進1万8000年前から
 手賀沼周辺貝塚―海水の濃度、時代で異なる

3 中世
●手賀沼と周辺の水系
吉田東伍「衣河流海古代(約千年)水脈想定図」(将門の時代)
<手賀沼と平将門>
 ・手賀沼周辺に伝説・ゆかりの地名など 将門信仰―新皇として国家反逆者だが民衆の支持。領民をいつくしむ、鎮魂
 ・相馬家
  根戸―平良文系千葉氏の支族相馬氏  北星神社(妙見)、法華坊
   ※奥州相馬氏―祖重胤、鎌倉で自害。名戸ヶ谷少林寺に墓
  「東日本大災害・原発大事故、津波で出てくる『相馬』」
 ・中世戸張城址
  文京区立柏学園―林間学校、弥生遺蹟との複合遺蹟
  そのほか、戸張用替城跡、または館  手賀沼一望の高台、物見的役割か

4 手賀沼周辺の中世城址

5 近世 ●利根川・江戸川水系河川改修(東葛飾郡・相馬郡ほか
●「布佐・布川狭窄部」
<手賀沼の舟運>
●手賀沼周囲の地図
 ・利根川の東遷―舟運による江戸への物資運搬などを目的に60年の歳月かけ承応3年(1654)に通水
  新参荷=鮮魚(銚子、鹿島灘で紀州漁民による漁場の開発)→平塚河岸の利用
 ・寛文10年(1670)−布佐から木下まで土堤完成  同時期海野屋作兵衛ら手賀沼干拓
  土堤ができると、はじめ木下河岸荷揚げ(行徳道=木下街道)、のちに布佐河岸(鮮魚街道成立)−松戸納屋河岸
 ・戸張河岸―土堤ができる前は銚子方面の荷、完成後は沼周辺の荷を扱っていた
 ・呼塚河岸
  水戸街道と大堀川との接点、常夜燈現存
  桜井家が荷扱い―開業は幕末、幕末には公認の河岸

6 おわりに わたしと手賀沼、なぜ地域を学ぶか
 

 

当日講演会の様子、展示した絵馬など

 
 「手賀沼流域の歴史と生活を語る」と題した、この講演会は9月25日(日)13時半から、柏市文化会館に隣接する、柏市勤労会館2F会議室・研修室で、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会主催で開催されました。
   会場は手賀沼に近く、まさに呼塚河岸と戸張河岸の間くらいの場所で、テーマにふさわしい場所だったかもしれません。 この講演会には60名の方が集まりました。 相原先生の分かりやすい話に集まった人たちは熱心に聞いていました。
今回、絵馬画像や城のパネル、模型なども展示、参加者には休み時間に見てもらいました。


 
相原先生 時々ユーモアもまじえ、分かりやすい講演をされた相原先生
講演受講者 熱心に講演を聞く参加者
松ヶ崎不動尊の大絵馬 クリックすると拡大画像を表示 展示された絵馬画像(画像をクリックすると拡大画像を表示します 〜展示したのは、絵馬画像、松ヶ崎城跡のコンピュータグラフィックス画像、模型など)



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