2011/4/24講演会

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会




テーマ:「近代の手賀沼干拓と吉田甚左衛門」


講師:高野博夫氏 (柏市教育委員会文化課 専任主幹)
日時:2011年4月24日(日)午前10時〜12時

場所:さわやかちば県民プラザ 3F 大研修室 

会費:300円(資料代) 



講師は柏市教育委員会文化課専任主幹の高野氏。旧沼南町の学芸員を長年つとめて来られました。
今回、大正期から昭和初期における手賀沼干拓の計画に対して、景観を守るために反対した手賀沼保勝会の杉村楚人冠たちの動き、それとは別の観点で手賀沼干拓に反対しながら、柏の振興策を考え、実行に移した吉田甚左衛門、そのスケールの大きなビジョンについて、最近発見された史料をもとに語っていただきました。

主催 手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会

HP: http://www.matsugasakijo.net/
 
講演会受講メモより


 ・手賀沼干拓は、江戸時代から周辺農民の悲願であった。
  利根川とは標高差がほとんどなく、大雨になると利根川が氾濫、手賀沼に逆流することもあった。
 ・一方、手賀沼のうなぎや鴨は地域の特産で、東京辺りにもよく知られた。
 ・手賀沼干拓の試みは江戸時代初頭から繰り返され、大正9年(1920)には、農商務省が手賀沼干拓計画を発表。
 ・景観や環境を守る立場から、その干拓に反対したのは杉村楚人冠(景観・環境を問題にするというのは、当時としては画期的)。
  →手賀沼保勝会結成

 ・吉田甚左衛門も、別の立場から手賀沼干拓に反対する。
実業家の立場から、吉田甚左衛門は柏の将来を憂い、まちおこしを考えた。
   ↓
  吉田甚左衛門(銀之助)のアイデア
   ・関東における宝塚構想(阪急の小林一三を見習ったもの)
   ・「東洋一の競馬場」(現在の豊四季台団地周辺は競馬場だった) 、競馬場にはゴルフ場を併設
   ・手賀沼に淡水魚の養漁場を作る→手賀沼を干拓から逃れるようにした

 ・吉田、杉村の存命中は大規模な手賀沼干拓は出来ず、二人の死後20年以上たった昭和42年(1967)に干拓が完成
 

 

当日講演会の様子、展示した絵馬など

 
 「近代の手賀沼干拓と吉田甚左衛門」と題した、この講演会は4月24日(日)午前10時から、柏の葉にある、さわやかちば県民プラザ3F大研修室で、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会主催で開催されました。
 柏の葉で午前中の開催でしたが、この講演会に61名の方が集まりました。集まった人たちは熱心に聞いていましたが、分かりやすい話で、資料現物のコピーも説明の最中に示され、説得力がありました。
 柏市は花野井の吉田邸などからの膨大な史料を保持しているとのことですが、講演の元情報も、吉田邸から発見された膨大な史料であったことを想起させるものがありました。

 

 
会長挨拶 森会長挨拶
高野氏の講演 吉田家から発掘された史料などをもとに興味深い講演をされた高野氏
受講風景 熱心にきく参加者
展示された資料 展示された絵馬画像などを見る(展示したのは、絵馬画像、松ヶ崎城跡のコンピュータグラフィックス画像、手賀沼沿岸風景写真など)
 講師と 講師と2 講師を囲んで話し込む参加者


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