不動尊の絵馬

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会

(絵馬画像は柏市教育委員会所蔵・転載不可)

 松ヶ崎不動尊の絵馬。 今は焼失してありませんが、残った画像を元に映像を制作しました。 その画像、映像の一部をご紹介します。

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ナレーション: 富澤 美奈子

 縦80センチメートル、横1メートル66.5センチメートルの絵馬。下は松ヶ崎不動尊に奉納されていた松ヶ崎不動尊風景図です。広々とした原野の中に水戸街道が走り、右下には今よりずっと大きかった手賀沼。時代は、明治の初め頃と考えられています。
 この貴重な絵馬を納めていた松ヶ崎不動尊は、平成8年6月8日に火事になり、建物と一緒に、絵馬もすべて焼け落ちてしまいました。柏市教育委員会所蔵のネガフィルムを借りて、絵馬を再現してみました。

松ヶ崎不動尊風景図

松ヶ崎不動尊風景図

水戸街道

 中央を下から上へ、まっすぐに走っているのが現在の国道6号線のもとになった水戸街道です 。画面の上の方が根戸方面、画面下の方が呼塚です。江戸時代には参勤交代の大名行列も通りました。
 荷物を運んでいる馬、人を乗せている馬、人力車などが見えます。
 人力車は明治2年に日本で作られ、銀座を走って話題になりましたが、松ヶ崎付近では 、いつごろから走ったものでしょうか?
 はやりの人力車が走る一方、江戸時代と同じように笠をかぶり、着物を着て旅する人もいたようです。
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手賀沼

 右下の手賀沼には舟が4艘見えます。お客さんを乗せた舟、荷物を運ぶ舟。当時船は重要な交通手段でした。「サッパ舟」と呼ばれた舟が日常のいろいろな用途に用いられました。

 左上が松ヶ崎不動尊。下総国の「印旛郡」「葛飾郡」「相馬郡」という3つの郡の境にあったために「三郡境の不動尊」とも呼ばれていました。

茶屋

 境内ふもとには、4軒の茶屋があります。赤いちょうちんが下がり、店の前ではお客さんを呼び込んでいる女性の姿。明るい呼び声が聞こえてきそうです。

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滝

 現在「松ヶ崎湧水」と呼ばれる場所がありますが、ほんのわずかな水が沸いているだけ。しかし、昔は滝になるほどの水が沸いていました。修行者が滝に打たれてい姿も他の絵馬で見付かりました。

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境内

 境内です。赤い剣が描かれたのぼり、竹にてぬぐいをかけた「まねき」、手すりがついて、遠くの景色が見られるよう桟敷もあります。ここからは右手に富士山、左手には白波のたつ手賀沼、とてもきれいな風景が見えたにちがいありません。参拝客もいて、にぎやかな、お祭りのようにも見えます。「 ふだらくや三郡境の滝不動 手賀の湖水にたつぞ白波」というご詠歌(えいか)も伝わっています。

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見晴らし

 崖の下は湿地帯のようにも見えます。ずっと以前は、ここまで手賀沼の水が来ていたと考えられます。

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