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古文書に見える松ヶ崎

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会

 中世までの松ヶ崎に関して現存している文献は、残念ながらほとんどありません。香取神宮文書は残された貴重な文書です。

■室町時代の香取文書

一、五貫文御かわらの木、相馬松崎にてとり申候ばんしやう二十人手間、山取九十人手間
【口語訳】五貫文(ごかんもん):"御かわらの木"(香取社の仮殿の屋根に葺く板を製材して作るための木)を、相馬松崎でとりました。番匠(大工)20人の手間賃、山取り(伐採者)90人の手間賃です。
一、壱貫文相馬松崎より御瓦木船にてこぎ申候時、船方さかてニ給候
【口語訳】一貫文(いっかんもん):相馬松崎より"御かわらの木"を積んで船でこぎ出したとき、船方に酒代として払いました。
(応永26年「香取社仮殿造営用途算用状」)

 香取社(佐原市)は伊勢神宮などと同じように、20年ごとに造り替え(遷宮―せんぐう)が行われていました。松ヶ崎の地名は、その造り替えのときの「仮殿(かりどの)」に関する記録の中に出てきます。仮殿造営に必要な材木を松ヶ崎できりだし船に乗せ、佐原まで運んだという記録は、室町時代に松ヶ崎が"香取の海"沿岸の他地域と水上交通でつながっていたことを教えてくれます。