柏市長宛に出した保存要請書

平成14年6月3日

柏市長 本多晃様

手賀沼と松ヶ崎の歴史を考える会会長

川上利男

松ヶ崎城址及び周辺森林の保存のお願い

 柏市松ヶ崎城址及びその周辺につきましては、これまで所有者の方々のご理解とご努力があってほぼ自然のままの姿を保ってまいりました。しかし、このほど所有者の変更に伴いまして、その中心部分が開発されようとしております。この土地につきましては、下記の事由によりぜひとも保存されるべきかと思われます。柏市におかれましては、松ヶ崎城址および周辺森林保存のためにご尽力いただきますようお願いいたします。当会といたしましては県内を始めとする関東地域の中世史、中世城郭研究者の賛同者名簿を添えて要請する次第です。

歴史的重要性

 当地は手賀沼湖畔にあり、手賀沼を北西方向から一望する位置にあります。土地内には前方後円墳と推測される墳墓がある他、室町〜戦国時代の城跡が残されております。中世期の城跡については柏市内では増尾城址を始めいくつかの城址がありますが、松ヶ崎城址のように周辺の景観を併せて昔の姿をとどめている城址は見ることができなくなっているのが現状です。
 松ヶ崎城址は手賀沼湖畔の舌状台地にあり、土塁、堀など中世城郭の典型的な特徴を残しているのみならず、古代からの柏地域や手賀沼を見てきた「証人」でもあります。隣接する地域には古代から中世へと続くきわめて大規模遺跡で重要性が指摘されながら、未だにその性格が解明できない法華坊遺跡があります。この遺跡の謎を解明する上でも、松ヶ崎城址の役割は大きな意義を持っています。これまで、遺跡の歴史的価値は出土品の価値や建造物の有無・希少性によって論じられてきましたが、私たちが生活する土地にあるがままの歴史を秘めていることも大きく評価してしかるべきかと思います。
 近年の歴史学の研究によれば、手賀沼はかつて「香取の海」と呼ばれた太平洋につながる広大な内海の西の端に位置し、江戸川・東京湾水系と「香取の海」を結ぶ水上交通の要地であったこと、また古代東海道も「香取の海」の西端を北上していたことなどが指摘されております。このような自然・交通の要衝地としての歴史を、今日まで伝える遺跡が松ヶ崎城址なのです。柏の古い時代の歴史の特徴は有力な権力者の存在ではなく、こうした交通上の機能にあることが次第に明確になってきた現状で、松ヶ崎を水陸交通の一つの要としてみる視点は柏の歴史のみならず、東国の中世史のイメージを変える可能性も持っております。

自然環境としての重要性

 松ヶ崎城址と周辺森林は手賀沼、呼塚、松ヶ崎と続く緑のチェーンの上にありました。しかし、開発によってこの緑のチェーンはところどころが切断されています。幸いにも柏市の「緑の基金」による斜面林の保護などにより、一部は保全されていますが、開発が続く中で予断を許さない状況が続いております。 当地の自然につきましては、植生の面では特に希少性が高い植物があるわけではなく、数十年前までは柏のどこにでも見られた植物、生物がほとんどです。しかし、かつてはどこにでもあった自然が今や急速に姿を消しつつあります。当地には古くから近隣の住民に親しまれてきた「松ヶ崎不動尊」があり、参拝路や古道、わずかですが、信仰を集めた滝も湧水地として名残をとどめております。市民の生活の中にあった自然の消失とともに、その自然と結びついた人々の暮らしや文化も失われることは言うまでもありません。
 このように柏の「どこにでもあった自然」の価値を再評価すると同時に、シャープ研究所側の斜面林保存、大堀川の整備・公園化と関連させて松ヶ崎城址及び周辺森林について、エリアとして保存・活用を考える必要があります。
 以上のような歴史的価値と自然環境としての重要性を併せ持つ松ヶ崎城址の保存を要望するものです。

以上