不動尊の絵馬(2)

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会   

(絵馬画像は柏市教育委員会所蔵・転載不可)

 風景図だけでなく、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)・平将門(たいらのまさかど)合戦図(かっせんず)、文覚上人(もんがくしょうにん)荒行図(あらぎょうず)など、不動尊には10数点の貴重な絵馬が残っていました。

松ヶ崎城の会TOPTOPへ

【不動尊参拝図(ふどうそん・さんぱいず)】

不動尊参拝図

不動尊参拝図

 絵の具が剥げ落ちていますが、不動尊境内の内外の様子が詳しく描かれています。本堂・おこもり堂・茶屋や滝などが確認できました。

不動尊参拝図(部分)

不動尊参拝図(部分)

 本堂奥には、本尊の倶利伽羅剣のようなものが、手前には僧侶と女性が見えます。右手に立っているのは、のぼりでしょうか。

【女拝み図(おんな・おがみず)】

女拝み図
女拝み図(部分)

女拝み図

女拝み図(部分)

 県内でも非常によく見られる「拝み図」。老女が本尊の倶利伽羅龍王(くりからりゅうおう)を拝んでいます。絵馬には絵師が腕をふるったみごとなものがありますが、この絵馬は一般の人が描いたのでしょうか。決してうまくはありませんが、逆に一心な祈りが伝わってくる素朴な絵馬です。年代は不明。

【文覚上人荒行図(もんがくしょうにん・あらぎょうず)】

文覚上人荒行図

文覚上人荒行図

 不動尊信仰の由来(ゆらい)を語る絵馬で、歌舞伎(かぶき)にもなった有名な話が描かれています。
 文覚上人とは、平安時代終わりから鎌倉時代初期を生きた実在の人物。誤って袈裟御前(けさごぜん)を殺し、「北面(ほくめん)の武士」から出家。那智(なち)の滝で荒行中に気絶した時に、不動明王(ふどうみょうおう)の使いの童子(どうじ)が飛来して助けたといわれています。この絵はその場面で、独鈷(どっこ)を口にくわえた文覚と、雲に乗った童子がいます。
*荒行:激しい苦しみに耐えてする修行

【藤原秀郷・平将門合戦図
(ふじわらのひでさと・たいらのまさかど・かっせんず)】

将門合戦図
将門合戦図(部分)

藤原秀郷・平将門合戦図

藤原秀郷・平将門合戦図(部分)

 絵師によって描かれたのか、色彩・描写ともみごとな絵馬です。槍(やり)で攻撃しているのが秀郷、攻め込まれているのが将門で、旗には藤原の家紋(かもん)の「さがり藤」。
 京都神護寺(じんごじ)の不動明王は、成田山新勝寺の本尊として将門を折伏(しゃくぶく)し、秀郷を勝利に導いたと信じられていました。この絵馬は不動尊らしく、将門を討たせた不動明王の霊験(れいげん)をたたえる意味があります。
 奉納者の名前は「□□門」とあり、年代は不明ですが、「治」の旁(つくり)らしき文字が見えるので、奉納は明治時 代かもしれません。

【剣図(けんず)】

剣図-1 剣図-2 剣図-3 剣図-4

剣図-1

剣図-2

剣図-3

剣図-4

 剣は不動明王の持物(じぶつ・手に持つ物)で、煩悩(ぼんのう)を断ち切るとされて います。これらの絵馬は、お不動様のご利益(りやく)を祈って奉納されたものです。

【倶利伽羅剣図(くりからけんず)】

倶利伽羅剣図-1 倶利伽羅剣図-2

倶利伽羅剣図-1

倶利伽羅剣図-2

 竜は倶利伽羅(くりから)とも呼ばれ、竜のまきついた剣を「倶利伽羅剣(くりからけん)」「倶利伽羅不動(くりからふどう)」といいます。炎をバックに、岩や蓮華座(れんげざ)、剣に巻きついてあたかも剣を飲もうとするような竜の姿が、美しい色彩で描かれています。剣図と同じで、不動明王のご利益を願って奉納されたものです。
*蓮花座:蓮の花の形をした台座