松ヶ崎城をめぐる歴史

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会


「柏市指定文化財第16号 松ヶ崎城跡」および「手賀沼が海だった頃」、当会創立15周年記念会誌など
(柏市教育委員会、柏市文化財保護委員会)                        より作成
時代西暦年松ヶ崎城、松ヶ崎周辺・関連
縄文 早期(約1万年〜6千年前)、中期(約5千年〜4千年前)、後期(約4千年〜3千年前)の土器片が出土している。 
古墳 円墳3基の時期は特定できないが、周辺から埴輪片および後期の土師器片が出土している。 
平安 竪穴住居と思われる遺構が3軒、土師器・須恵器・灰釉陶器片が出土している 
927 延喜式に「下総国駅馬 茜津・於賦各十疋」の記述
935 平将門の乱
1130 千葉常重(平常重)が伊勢神宮に布施郷を寄進、相馬御厨が誕生
鎌倉  本土寺(松戸)創建
  根戸の中馬場遺跡に14〜15世紀の国内陶磁器
室町1418香取文書に「相馬松崎」の地名 
1478 太田道灌 境根原(柏)で千葉孝胤と戦う
  詳しい年代は不明だが、高城氏に圧迫されて現在の柏市域の匝瑳氏が三郷市域に、戸張氏が吉川市域に移る
1538 北条氏、国府台(市川)で小弓軍を破る
1564 北条氏、国府台(市川)で安房の里見氏を破る
1566 上杉謙信が小金城付近に陣を敷く
 15世紀末から16世紀前半の陶器、土器などの遺物が出土しているが、非常に少ない。築城時期・使用期間など詳細は不明だが、遺物のある時期には城として機能していたと考えられる。 
安土
桃山
1577「万松寺」(松ヶ崎)開山と伝えられる 
1590 北条氏・高城氏滅亡
江戸1616 幕府 布施の七里ケ渡(柏)を定船場と認める
1713松ヶ崎に倶利伽羅不動明王が祀られる 
1729近辺の干拓始まる 
1855倶利伽羅不動明王を南側腰郭に移転(松ヶ崎不動尊) 
 陶器片、砥石、古銭などが出土している 
明治 松ヶ崎不動尊、「三郡境のお不動様」と呼ばれ、繁栄 
   
大正   
   
昭和
・平成
   
1974佐藤立身が「柏の文化財と自然を守る会」の会報に松ヶ崎城跡を取り上げる 
1975都市計画道路の計画に対し、城跡の保全を求める陳情が出される 
1982 柏市教育委員会が市域の遺跡分布状況の再調査を行う
1983柏市教育委員会の「柏の遺跡−柏市埋蔵文化財分布地図−」に松ヶ崎城が掲載される 
19902003年にかけて千葉県教育委員会が調査 
1993マンション建設計画の際、柏市教育委員会が市長に報告書(内部資料)を作成 
1995「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書?−旧下総地域−」に城跡の構造等が報告される 
19996月13日にシンポジウム「手賀沼が海だった頃」が開催される(講師:遠山成一氏、川尻秋生氏、鈴木哲雄氏、中山文人氏、司会:鈴木英夫氏) 
19999月26日「手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会」が発足 
2000「千葉県文化財センター研究紀要20」に取り上げられる 
2002千葉歴史学会大会で当会鈴木英夫顧問が「松ヶ崎城の活用と保存−歴史的自然環境の概念を中心に−」を講演 
2002柏市教育委員会が発掘調査(確認調査) 
2003柏市教育委員会が追加調査 
20042月27日、当会が「松ヶ崎城址と周辺森林の保存」に関する請願書を柏市議会に提出、3月19日に本会議で採択される 
20047月1日付で松ヶ崎城跡が柏市文化財に指定される 
200411月28日、シンポジウム「松ヶ崎城と街道(みち)−中世柏地域の陸上交通−」を開催(講師:中山文人氏、間宮正光氏、井上文男氏、遠山成一氏、司会:当会鈴木英夫顧問) 
2008城跡の工事による破壊問題がおこり、当会は、地権者、柏市長、教育長、文化財保護委員会会長に工事即時中止の要望書提出(年末には収束) 
20091月より柏市が城跡の主要部分18,369平米を借地し、一般公開へ 
20102月に柏ロータリークラブが城跡台地上に河津桜、こぶしなど広葉樹を70本植樹、3月1日に当会が音頭をとって結成した樹木里親の会が城跡台地中段、斜面に河津桜50本を植樹、3月3日に柏市役所で樹木の贈呈式 
20113月27日城跡台地中段に樹木里親の会(協力:柏ロータリークラブ)がシンボルツリーとしてカツラの木を1本植樹東日本大震災のため植樹祭は翌年に
20123月25日に城跡台地中段に河津桜3本を植樹、同時に植樹祭実施 
201411月9日に当会創立15周年記念講演と演奏の集い(講演会講師は間宮正光氏、佐脇敬一郎氏)を開催