箕輪城

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会

【箕輪城の位置と構成】

 箕輪城は手賀沼西部南岸、県道船橋我孫子線の西側400〜500mに位置しています。手賀沼に面し、さらに東西を支谷に挟まれた独立性の高い舌状台地の先端で、標高は20〜23m。手賀沼との比高差は20m以上となります。
 城域は東西280m、南北180mで、5つの曲輪(4つという説も)があります。城跡の西側半分が開発で失われましたが、塁壁の屈曲、曲輪をずらした構え、大規模な土塁と堀などの構造から、16世紀後半まで機能したと考えられています。T郭が主郭(本曲輪)とみられ、西側土塁中央部分にある突出部は敵へ横矢をかけるための施設、南側土塁の基底幅は9.5m、推定高2.5〜5m、空堀の上幅は7m、深さ4・5mです。東側・南側には二重土塁も築かれました。
 城主は不明。水上交通と深い関わりを持ち、高城氏領の北東の境界に置かれた城と言われています。発掘調査はT郭南端からU郭北端にかけて行われ、空堀の底部近くから室町時代の応永16年(1409)銘の宝篋印塔(ほうきょういんとう)の一部が出土しました。城破りの儀礼のために、城内または周辺にあったものを埋めた可能性が高いようです。

【コンピュータグラフィックスによる箕輪城遺構の表現】

箕輪城遺構の平面図

箕輪城遺構の三次元コンピュータグラフィックス

東側(平面図右側)から見た箕輪城。手賀沼に面した急崖は、後年干拓用の土取りのために崩されたもの。

(図をクリックすると別画面に大きく表示されます。)

南側(平面図下側)から見たもの。平面図中央のT郭に通じる土橋、虎口が見える。

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