松ヶ崎城見学会(Part 2) 手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会 |
松ヶ崎城の北東側腰曲輪に集合 朝10時 |
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背後に城址中心部のある台地、煙は狼煙? 2006年10月8日の日曜日、40名近くの方が松ヶ崎城に集結されました。皆さん、朝早くから、ご苦労様です。 鈴木先生の松ヶ崎城の概要についての説明のあと、早速、城跡の中心部をめざし、台地を登りました。実際登ってみると、城跡の中心部はけっこう高い場所にあります。 |
台地を登ると、平安時代の遺跡が |
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台地を登ると、平安時代の遺跡がある場所に出ます。竪穴式住居のような簡単な建物跡があったとのことで、3軒程度確認されています。 |
解説する鈴木先生 |
城址南東から見る北柏駅方面 |
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城址南東にある物見台付近は、さすがに見晴らしの良い場所で、北柏駅方面が一望に出来ます。 |
北柏の中世に思いをはせる |
台地続きの西側に備えた虎口(こぐち) |
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西側虎口付近は、この城でもっとも防備を固めた場所です。虎口は、城のいわば玄関にあたり、外敵の侵入を許さない工夫として、この城の場合、両脇の土塁が食い違っています。 |
手前に土橋、その横に堀が広がる |
本曲輪をめぐる土塁と空堀 |
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堀底を歩く男性陣(左)、北側の空堀で説明を聞く参加者(右)
本曲輪の西側、北側には方形状に土塁がめぐり、さらにその回りを空堀が取り巻く様子が顕著に見られます。 |
謎をはらんだ門跡 |
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堀にそって、東へまわると古墳があり、城の曲輪内へ入る出入口(ここも西側と同様、虎口です)に、門があったそうです。 |
物見台(左)と門跡 |
松ヶ崎城とは、どんな城だったか |
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本曲輪内(左)、西側虎口脇から見た堀と土塁、手前は土橋(右) 門跡から、本曲輪内へ。ここで、謎解き。松ヶ崎城はどんな城?これがなかなか難しい。何しろ建物が城郭の中心部にはなかったらしいことが、発掘調査で分かっています。 先ほどの宗教的な施設という説や、作りかけの城で、何らかの事情で放棄されたという説、現在の北柏駅辺りにあった中世の町の人々の避難場所という説、合戦時の一時的な城(陣城)という説があります。 また、城主がいたか、どうかも不明です。さはさりながら、避難場所でも、陣城でも、この城跡の価値が変わるものではありません。 |
不動尊跡と湧き水を見て、見学終わり 12時 |
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不動尊跡(左)「奉納」と行書で書いた手水鉢(右)
城跡でいえば、腰曲輪(こしぐるわ)という台地斜面についた小さな平場、その南側の腰曲輪の一つに、かつて「三郡境の不動様」として江戸時代から人々の信仰を集めた不動尊がありました。 |
北側堀底より土塁を見たところ。5m以上の高低差。 |
懇親会での炭焼談義、その後のミニ里山体験 |
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城跡見学の後、懇親会があり、お茶を飲み、焼きたての秋刀魚やお芋などを食べました。一仕事?した後のお茶はうまかった。。。 懇親会の場では、竹炭作りや環境保全について、会員の久川氏から話がありました。竹炭は最近、色々な場所で見かけますが、脱臭や空気清浄の効果があるとのこと。 ご飯を炊くときにジャーのなかに入れたり、料理に使うことも良くあるようです。 上段:左上、右下は竹炭を実験的に焼いているところ |
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秋の味覚の秋刀魚やさつま芋などを味わった後は、建長汁風の味噌汁も出され、しばし自然のなかのひと時を楽しみました。 その懇親会も終った後、城跡周辺にはびこっていた竹や雑木の整理を行いました。竹の太いものについては、実験的に行っている竹炭作りの原料として小さな釜のなかへ、その他は始末しました。 |
「僕でも竹が切れるぞ」 残っていた参加者と子供たちも加わり、竹を切ったりして、まるでミニ里山体験のようになりました。細かく切った竹や雑木の枝などは、早速竹炭作りの燃料となったのでした。けっこう、子供たちもノコギリをうまく使えたようで。 |
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