第1回 松ヶ崎城まつり

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会

 手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会では、第1回目の城まつりをイベントとして行いました。以下、その内容を報告します。



【第1回目の城まつり】


 城まつりののぼり旗を台地中段にたて、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会主催の松ヶ崎城まつりは、11月15日(日) 午前10時15分から午後4時まで行われました。
 幸い天候に恵まれ、雨が降った前日とはうってかわり晴れて暑いくらい。
 午前10時15分からのオープニングでは、松浦洋子さんの太鼓と笛、川喜多瑶子さんの太極拳で場がしまりました。
午前、午後2回の見学会には、のべ100人くらいの方が参加されました。明治、大正の演歌や三味線を弾きながらの不思議噺は、茗荷さん。「松ヶ崎城節」を今回のために新しく作って頂きました。 
 それからネイチャーゲームでは、子供さんに楽しんでもらいました。会による地元野菜・千葉大から仕入れた花の販売や、松葉町のアーシアンさんによるアジアの小物・雑貨等の販売も行われました。
 第1回目で、地味なまつりになりそうな予測もありましたが、結局300人以上の人出となりました。

これから見学会 ビオラ

【オープニング】


川上会長代行の開会あいさつの後、太鼓と笛の演奏、太極拳の演武が行われました(笛、太鼓演奏は松浦洋子さん、太極拳演武は川喜多瑶子さん)。


松浦さん 川喜多さん





【見学会】

東側物見台付近から西側虎口まで

 今回の見学会の説明は、当会役員が行いました。まず、台地東側にのぼってもらい、物見台付近から見学を始めました。
 物見台は、古墳を利用したもの。物見台も含めて、古墳は三基あります。土塁や堀、虎口の様子などを見てもらい、城の構造や特徴について解説しました。 参加者からもいろいろ質問が出ましたが、近隣の城(根戸城)との関係や戦国時代の在地勢力などについて、かなり専門的な質問も出ました。


南側通路 不動尊跡

【南側の腰郭へ】

西側虎口から南側へ

 西側虎口の「食い違い」の状態を見てもらった後、南側の腰郭にも回りました。不動尊のあった腰郭では、絵馬のコピーを掲示し、焼失する前の不動尊の様子や絵馬に描かれた風物について説明を行いました。
(なお、下の不動尊跡の写真は、今回撮っていなかったので春の見学会のものを使用)。

西側虎口付近にある看板 不動尊跡(春の見学会)

(補足)不動尊と絵馬

 南側腰郭にあった不動尊は、下総国の「印旛郡」「葛飾郡」「相馬郡」という3つの郡の境にあったために「三郡境の不動尊」と呼ばれ、江戸時代から近年にかけて当地が信仰の場であった象徴でした。
 不動尊の絵馬(松ヶ崎不動尊風景図、同参拝図や藤原秀郷・平将門合戦図、文覚上人荒行図等十数点)は、平成8年(1996)の火事で残念ながら堂とともに焼失し、写真のみ残りました。

 

【演芸と園芸?】

明治、大正の演歌など

 今回、当初予定していた演者が体調不良などで出演できず、出て頂いた方は直前に頼まれた人ばかり。「オッペケペー節」、「東京節」といった明治、大正の演歌を歌った茗荷さんは、急なお願いにも関わらず、「松ヶ崎城節」まで今回のために新しく作って頂きました。 
 布施弁天のお使いの話は、太陽が燦々と照った場所でなく、夜ろうそくの光で聞いたら・・・と思いました。
 

三味線で怖い話を 布施弁天

自然、園芸・・・

ネイチャーゲームは木の葉探しなど。お子さんたちが自然に親しむ機会になったかな。
また当会は地域の方々の育てた野菜や千葉大から仕入れたパンジー、ビオラを販売しました。朝まで花を預って頂いたご近所会員のMさん、ありがとうございました。松葉町のアーシアンさん、生チョコが女性陣に好評でした。これに懲りずに、またお願いします。


なぞの柑橘類? パンジー

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