2012/4/22講演会

手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会




テーマ:「アジア・太平洋戦争における戦争指導と民衆」


講師:吉田裕氏 (一橋大学教授)
日時:2012年4月22日(日)午後1時30分〜3時30分

場所:柏中央公民館 5F 講堂 

会費:300円(資料代) 



講師は日本近現代史の第一人者として有名な吉田裕氏。 現在一橋大学教授ですが、近現代日本政治史、軍事史がご専門で、岩波書店の「アジア・太平洋戦争」、「昭和天皇の終戦史」、「兵士たちの戦後史」など多数。
今回、無謀にも開戦に踏み切ったアジア・太平洋戦争において、軍部、宮中の元老・重臣などの戦争指導は様々な体制上の対立、矛盾をはらみながら進められた、その戦時体制に民衆は組みこまれ、大きな戦禍を被った末、敗戦となった。民衆は「被害者」であることは間違いないが、単なる「被害者」という側面では捉えられない面もある、総力戦が労働者などの地位向上をもたらした側面もあったなど、具体的な史料をもとに講演して頂きました。

主催 手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会

HP: http://www.matsugasakijo.net/
 
講演会受講メモより


 ・はじめに
 繰り返される問い=日本はなぜ無謀な戦争を回避できなかったか、 
 問題は、政治家・官僚・軍人だけでなく、民衆の戦争支持にも

 一 日本の戦争指導の特質
 (一)統一的な国家戦略と一元的な戦争指導機関の不在
 ・大本営の組織自体に、陸海軍の統一性がないなどという欠陥があった。
 ・そもそも陸海軍の対立は根深く、深刻であった。
 ・重要情報が組織のなかで共用されない。
  →東條首相は、ミッドウエーの敗戦を陸軍首脳は海軍からでなく、天皇から聞いて初めて知る

 (二)その制度的・歴史的背景
 ・統帥権の独立(政府による軍部強硬派の制御困難)
 ・内閣総理大臣の権限が弱い、国家諸機関の分立
 ・日中戦争以降、総力戦体制へ(総理大臣など文民の政治力一元化の試み)
 ・天皇の実際上の権限の流動性

 二 民衆の戦争支持をどう考えるか
 (一)「被害者」としての古典的な把握
 (二)常に受動的な戦争参加・戦争協力だったのか
 ・安易な戦争観、アジア諸民族への蔑視
 ・近年の総力戦研究から
  → 戦力強化のために社会の近代化・現代化(労働者の地位向上など)、総動員体制は民衆の参加要求、改革要求を汲みあげる
 

 

当日講演会の様子、展示した戦争遺跡写真など

 
 「アジア・太平洋戦争における戦争指導と民衆」と題した、この講演会は4月22日(日)午後1時半から、柏中央公民館講堂で、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会主催で開催されました。
 この講演会に101名の方が集まりました。集まった人たちは熱心に聞いていましたが、適宜史料を示しながら、レジュメを基にした説明がされ、分りやすかったと思います。また、いくつかの質問の後、講師の吉田教授からは的確な回答があり、すごいとの声も。
 なお、あわせておこなった展示を中心に朝日新聞で紹介され、展示だけを見て行かれた方もあり、実際の来場は100名を数十人上回っております。展示したのは写真家の渡邉祐一氏、染谷毅氏の戦跡写真、市川の赤レンガをいかす会から借用した国府台の陸軍が使用した赤レンガ倉庫のパネルや当会の各種パネルなど。関係者のご協力に感謝いたします。
 

 
受付風景 受付風景(女性4名で対応しました)
吉田裕氏の講演 史料を参照しつつ、レジュメをもとに興味深い講演をされた、一橋大学教授吉田裕氏
受講風景 参加者は熱心に聞き、質問もかなりポイントを突いたものがありました
集会室の展示準備 集会室の展示準備を行う当会メンバーたち(中央にあるのは、陸軍大尉の大礼服、大満州国建国功労章、各種従軍記章)
集会室の展示 展示に見入る参加者
 展示2 展示3 展示された戦跡写真やパネル


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